大都会奇跡と絆刻まれて
福音書に出てくる地名で一番多いのはなんでしょうか。エルサレム(68回)とガリラヤ(63回)がダントツだろうなというのは簡単に予想できます。
イエスが育ったナザレは…22回です。二大巨頭の1/3、うーん!一気に落ちます!でも、続く第4位は3位と割と近く、17回出てくるんです。どこでしょうね?聖誕の地、ベツレヘムでしょうか。
これが、違うんですね!
「カペナウム」なんですよ。
正直余り耳慣れない…と思うのはもちろん不信仰な私だけでございますw
ちなみに、ラケルが死んでルツが再婚しダビデ王が生まれた旧約聖書でもお馴染みの聖誕の地ベツレヘムは9回なんです。それに倍近くの差をつけたカペナウム(新共同訳では「カファルナウム」となっています)って、どんなところなんでしょうか。
ま、一言で言えばガリラヤ時代のイエスの活動拠点でした。
12使徒の内5名、ペテロ、アンデレ、ヨハネ、ヤコブ、マタイ辺りはここらでスカウトされたんじゃないかなあ、と。あとはローマの百人隊長の部下の病気を治したり、悪霊に憑かれた人を癒したり、中風で寝たきりの人を歩けるようにしたり、、、数多くの奇跡がここで行われました。
何故、カペナウムだったのでしょうね…って、要は、にぎやかだったんですよ。
生まれ故郷のナザレで伝道しても良かったのでしょうが、ナザレは大層な田舎、というか、人がまばらにしか住んでない集落でした。後に弟子になるナタナエルにさえ、「ナザレから何の良きものが生まれようか」と憎まれ口を叩かれています。
一方カペナウムはヴィア・マリスというエジプトとダマスカスを繋ぐ幹線道路沿いにあったんです。百人隊長のエピソードにもある通り、当然、外国人もそこそこいました。マーケットは大きいし、保守的なエルサレムに比べれば規制もゆるそうです。
後は、安全…だったかも。にぎやかという意味では、ティベリアの方が大都市なので良かったのでしょうが、残念ながら当時ガリラヤ地方はヘロデ・アンティパスの支配下にあったんです。サロメを使って洗礼者ヨハネを殺害し、イエスを迫害したあの彼です。
一方カペナウムは、ヘロデ・アンティパスの腹違いの兄弟、ヘロデ・ピリピ2世(ちなみにこの方、サロメの夫です)が支配する地域との国境です。目の前のガリラヤ湖を渡ってゴラン高原に行けば、そこは彼の領地でした。
ヘロデ・ピリピ2世は別にイエスを迫害していなかったので、やばくなった時に逃げ込むのに丁度良かったんです。
ついでに。カペナウムは国境…ということは当然関所があります。関所で関税を巻き上げていたのが、後に福音書の作者の一人となる徴税人マタイです。これこれー。
※wikipedia「聖マタイの召命」より引用。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AE%E5%8F%AC%E5%91%BD
美術の教科書でさんざん見た「聖マタイの召命」ですね、この絵の現場がココなんです。
カペナウムは、お宝満載の場所です。
メインはやはり、冒頭のキャッチの写真にあるシナゴーグ跡ですね!
聖書にはもろ、イエスがカペナウムのシナゴーグで説教をしたという記録が残っています。コレがまさしくソレかって思いますが、実は、上物の立派な神殿跡は4~5世紀のビザンチン時代のものです。
でも、よく見てみると基礎(?)が黒玄武岩になっています。当時から、こうした宗教施設は古い時代の遺構を活かして作るのが一般的でした。ですので、この地元でとれる黒玄武岩を使った遺構はイエスの時代のものとされています。
中を見てみると…立派ですね。シナゴーグは今の日本の教会のように純然たる宗教施設というよりは、公民館やイベント会場のような位置付けだったそうです。生活に根付いた場だったんですね。
床には、当時のゲーム(双六のようなもの)の跡が残っています! イエスが十字架にかけられたとき、ローマ兵たちが衣服を分け合おうとくじを引いた、とされていますが、このくじは日本人が想像するくじではなく、こうした古代のゲームだったとのことです。
あともう一つのお宝は…ペテロの家⁉です。てか、めっちゃ近代的な建物に見えますが…
コレ、実は3重構造になっているのですね。一番外側の立派なやつはフランシスコ会が1990年に建てたものです。で、なんで、こんなところにそんなものを立てたかというと、この下に5世紀建てられた教会があって、それを保護するためです。八角堂教会、とか呼ばれています。
で、その5世紀に建てられた教会の中にまた、紀元1世紀の頃から巡礼の場として大切にされてきた場所があるんです。漆喰の壁に、ギリシャ語やラテン語、アルメニア語などで、イエスやペテロを示す言葉が書かれていたとか。また、ここから漁の道具が見つかったのだそうです。
ペテロは元々は、漁師でしたからね。
1世紀、イエスの死からさほど時間が経っていない時点からここはペテロの家として重要視され、それを記念して5世紀に教会が建てられ、イスラムの支配が終わった後にフランシスコ会によって買い取られた、ということでしょう。
もちろん、ここが本当にペテロの家だと考古学的に立証されたわけではないのですが、1世紀から確かに巡礼の場として大切にされていたと言われると、どきっとしますよね。
ちなみに、1990年に建てられた教会の中央部分はガラス張りになっていて、上から遺構の様子を見ることもできますよ!
その他発掘された飾り柱も見ごたえがあります。ローマ風のアカンサス文様の上に、しっかりとユダヤ教の象徴であるメノラー(7つの枝を持つ燭台)やショファー(角笛)のレリーフがあります。
十戒を入れた契約の箱のレリーフなんてのも。
カペナウム、一般的な知名度は低いかもしれません。でも、もしかしたらもしかしたら…と思わせてくれるドキドキ感では群を抜く観光スポットです!
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