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執筆者の写真デボラ・デラックス

山上の垂訓教会

幸せを言祝ぐ声よ、天に届け!

″心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。

悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。

柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。

義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。

憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。

心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。

平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。

わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。

喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。″

新約聖書 新共同訳 マタイによる福音書 5章3節~12節


「山上の垂訓」ですね。theキリスト教って感じですね。決定版ですね。超有名なので、クリスチャンじゃない方でも「あー…」って思うのでは?


「山上の垂訓教会」はそのままベタにこの説教がなされた場所にあります。


で、もちろんこれも、伝承です!なんの証拠もございません!


が…


諸条件を考慮すると、そう大きくは外していないんじゃない?と思えるかも。


と、いうのも、この山上の垂訓、恐らくは数千人の聴衆を前にしてガリラヤ湖畔の小高い山の上でなされました。数千人の聴衆を集められる場所なんてそもそも的にそうそうないです。で、ある程度限定されちゃうんです。


山上の垂訓教会の建っている所は「祝福の丘」と言われています。ここは別名「エレモス山」とも言われていまして。「エレモス」というのはギリシャ語で孤立した、とか人が住んでいない、という意味だそうです。この辺の土地は岩が多く、農業に利用された形跡がないとか。当然人も住めないですよね。


もっとも今は、ビニールハウスでなんか育てちゃってるみたいですが。イスラエル人、たくましいです(^^;) ガリラヤ湖との位置関係から、そこそこ高台にあることと見晴らしの良さは伝わると思いますが、いかがでしょうか。

んで、ある程度高台でかつ一定の広さのある所、というと取り敢えずここかなみたいな。4世紀のエゲリアという巡礼者(尼さんです!この当時で女性!いや信仰の深い方です)の記録によっても、当時からこのあたりが山上の垂訓が語られた祝福の丘とされていたことが分かるそうです。


ひま、失礼、熱心な学者が、ここで5000人の聴衆を前にして説教して本当に聞こえるのかどうか、実験してみたそうです。そしたら、どうもここは天然のコンサートホールみたいになっていまして、異様に音響効果が良く、、、なんと、いけちゃったとか。


イエスも、良く、見つけましたよね。そういうとこを。この方もほんと、ヘロデ大王に負けない位仕事細かいです。


まあ、証拠や理屈は置いといて、是非ここを訪れてみてください。ガリラヤ湖が一望できる、本当に美しくて気持ちのいい場所なんです!かの山上の垂訓がここで語られました、と言われれば無条件でああそうね、と納得できてしまいます。


てか、ここ以外では、あって欲しくないです!


で、改めてこの教会それ自体を見てみましょうか。1938年に教会建築で有名なイタリアのカトリック僧、アントニオ・バルルッツィによって建てられました。


全体的に黒っぽくシックないでたちですよね。景観の美しさを邪魔しないというか。地元でとれる黒玄武岩を使って建てられたそうですよ。内装もとても落ち着いた感じで、ずっといられそうです。祭壇もかわいいですし。

屋根は丸いドームになっていますね。でもその下は8面体になっていますよね。これは、山上の垂訓の「~は幸いである」が8回繰り返されていることを表現しています。教会内部も8面体になっています。


ちなみに、繰り返しますが建てられたのは「1938年」、「イタリア」の建築家によって、です。ファシスト党を組織したかのムッソリーニが寄付しているとか、なんとか…


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