新約の光と風に出会う場所
ガリラヤ湖、有名なので何となくバカでかい湖を想像されるでしょうが、実際は琵琶湖の1/5程度。霞ヶ浦と大体同じ大きさです。形が竪琴に似ているとかで、ヘブライ語で竪琴を意味するキネレト湖なんて呼ばれてました。この辺は、琵琶湖に似ていますね。
航空写真で見るとこんな感じ…ところで竪琴ってこんな形してましたっけ??
ついでに琵琶湖も…ところで琵琶は琵琶でこんな形してましたっけ??
※wikipedia「ガリラヤ湖」より引用。
※wikipedia「琵琶湖」より引用。
ま、まあ、こうしてみると親近感が持てないことも無いですね(;^_^A
さて、イスラエルには色々な観光スポット、というか巡礼スポットがありますが、その中で最大にして最高の場所…と、いったら、やはりガリラヤ湖それ自体なんでしょうね。
なにゆえここが最大の聖地かと言いますと。
他の箇所でも書きましたが、イエスの死後、イスラエルという国自体がかなりの長期間キリスト教徒レスの状態に置かれるんですよね。多少は住んではいましたけど、支配権は異教徒に握られていました。
ざっくり…
AD70 第一次ユダヤ戦争敗北後第二神殿が崩壊
AD167 第二次ユダヤ戦争に敗北、ローマ帝国によるユダヤ人追放(ディアスポラ)
AD313 ローマ帝国コンスタンティヌス帝によるキリスト教公認
AD395 東ローマ帝国(ビザンチン)による支配
AD638 ウマイヤ朝エルサレムを占領
AD1009 ファーティマ朝によるキリスト教巡礼禁止・教会破壊令
AD1096 十字軍によるエルサレム占領
AD1250 マムルーク朝による支配
AD1517 オスマン帝国による支配
AD1917 イギリスの委任統治領に
AD1948 イスラエル建国
青字がキリスト教徒に支配された期間です。ディアスポラからイスラエル建国まで約1900年の間、1300年以上の間はローマ帝国やイスラムによる支配下にあることがわかります。キリスト教が保護された時代なんて500年足らずです。
何が言いたいかというと。
キリスト教寺院や史跡なんて壊され放題壊されまくってるってことなんですよ!幾ら巡礼の地としてありがたがられていると言っても、殆どの教会は1800年代以降に伝承やビザンチン時代の遺構に基づいて建てられているんです。
残った遺構にだって、確実にそこでイエスが魚増やしたり魚釣らせたりした証拠なんか何一つありませんしね。当たり前ですけど。きっぱり言わせて頂くと、イスラエルの観光地は概ね皆ファンタジーの産物です。
でも、イエスの約3年半の伝道の中心地となったガリラヤ湖それ自体は、リアルです。イエスの時代にも確かにそこにありました。十字架の死と復活という一大イベントの舞台となったエルサレムも重要ですが、彼がそこで仕事したのはたった1週間ですからねえ…
そして嬉しいことに。ガリラヤ湖近辺はかなりしっかり景観が保たれているんです!イスラエルという国自体は起業&軍事産業大国ですが、ガリラヤ湖周辺は相当規制が厳しいのでしょうか?ガリラヤタワーとかエヴァンゲリオンツリーといった類の高層ビルは全く見当たりません。
近景はともかく、遠景は2000年前、イエスの時代そのまま。これって、凄いことですよ。
イスラエルは、ざっくりいうと北は雨が多く、南へ行けば行くほど乾燥しています。私は北にあるガリラヤから南にあるエルサレムに向かっていくツアーに参加したのですが、バスが南に行けば行くほど、どんどんどんどん緑が奪われて、周囲の景色がものすごい勢いで荒れ果てていきます。怖い位です。
でも北部にあるガリラヤはとても緑が豊か。ガリラヤ湖から魚は取れるわ、土地は肥沃で作物は取れるわで、とても栄えていたそうです。私が行ったのは冬ですが、冬はあちらでは雨季。日本みたいに普通に道端に花咲いてたりして…♡オシロイバナの親戚ですかね、これ。
でも、ガリラヤから大分南に下った死海近辺はこんな感じです。奥の方に見える鮮やかな青は死海ですが、近景の荒涼としていることったら・・・
都上りの歌みたいなテンションにはとてもかくてもなれませんでしたね。聖地エルサレムには夕方着いたのですが、エルサレムより何より街灯が嬉しかったです。ほっとしたのを覚えています。
ただ、この緑豊かな癒し系のガリラヤですが…
イスラエルの北側…ということは、元々は北イスラエル王国に属していた場所になります。ダヴィデ王、ソロモン王の時代までは一つだったイスラエル王国ですが、ソロモン王の死後内部分裂が起こり、BC922年に北イスラエル王国と南のユダ王国に分裂しますね。
そして、北イスラエル王国はユダ王国より早くアッシリアに滅ぼされ、その後、アッシリアの植民政策により、北イスラエル王国のあった場所には異民族がぞくぞくと押し寄せてきます。そのせいか、ガリラヤ地方の人々は結構訛りが強かったそうです。
そしてユダヤ教の伝統は薄れる…ということも無いのですが意識高い系のエルサレムと比べると、ゆるくはなっていたみたいですね。そんなかんなで、豊かな割には「辺境の地」呼ばわりされて一段低く見られていたようです。
キリスト教は、そんな土地から生まれたんですね。
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