知らないと知らずに言って知ったこと
※wikipedia 「Denial of Peter」より引用。
https://en.wikipedia.org/wiki/Denial_of_Peter
英語でいうと“Church of St. Peter in Gallicantu“です…って、Gallicantuってなんやねーん!!タクシーの運ちゃんに説明しようにも全く発音出来ず、weblioにも載ってなくて超焦って結局マウントツィオンプリーズと怒鳴ったのも今は懐かしい思い出です。
ちなみに、ラテン語で鶏の鳴き声のことを言うらしいです。発音はyoutubeで確認できます(てか、そこまでしないと分かりません)。
使徒ペテロのあまりに有名な次のエピソードを記念してできた教会です。4つの福音書全てに大体同じ内容で書いてあります(4つ揃ってるってなかなか無いことですよ)。
でもま、ルカのが一番臨場感あるかな。ちと、長いですが。
“ それから人々はイエスを捕え、ひっぱって大祭司の邸宅へつれて行った。ペテロは遠くからついて行った。人々は中庭のまん中に火をたいて、一緒にすわっていたので、ペテロもその中にすわった。
すると、ある女中が、彼が火のそばにすわっているのを見、彼を見つめて、「この人もイエスと一緒にいました」と言った。ペテロはそれを打ち消して、「わたしはその人を知らない」と言った。
しばらくして、ほかの人がペテロを見て言った、「あなたもあの仲間のひとりだ」。するとペテロは言った、「いや、それはちがう」。
約一時間たってから、またほかの者が言い張った、「たしかにこの人もイエスと一緒だった。この人もガリラヤ人なのだから」。ペテロは言った、「あなたの言っていることは、わたしにわからない」。
すると、彼がまだ言い終らぬうちに、たちまち、鶏が鳴いた。主は振りむいてペテロを見つめられた。
そのときペテロは、「きょう、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われた主のお言葉を思い出した。
そして外へ出て、激しく泣いた。“
新約聖書 新共同訳 ルカによる福音書 22章54節~62節
キャッチの絵は、この泣いているペテロを表現しています。このエピソードも良く宗教画に取り上げられています。鍵や雄鶏、逆さまになった十字架なんかと一緒に描かれている爺さんはペテロですよ。
ここ、ゲッセマネでのエピソードに続いて、凄く悲しい話ですよね。
ゲッセマネでイエスがペテロの「知らない」事件を予言したとき、ペテロは「やだもう☆死ぬまで君と一緒だよ♡」みたいな調子良いこと言うんです。
これ、本人的には別に嘘つくつもりはなかったんだろうな、と思います。でも、決して本気、というか真面目に言っている訳でもなかったのかな、と。今日のイエス君なんか変だな安心させなきゃ位のつもりだったんじゃないでしょうか。
ペテロはイエスと違ってこれから起こる十字架の死なんてわかっちゃいないですからね。先の先を予見しているイエスとの間には、絶望的な温度差があるんです。
そしたらホントにイエスが逮捕されちゃって初めてコトの重大さに気が付いてテンパって。正直、ゲッセマネでの会話なんて完全忘れてたと思うんですよ。
ペテロは、エラいですね。リーダーの自覚があったのでしょうね、イエスが逮捕されたとき、ツテを辿って大祭司の屋敷に入って様子を伺うんです。結構なリスクがあったと思うんですけど、勇気を振り絞って。
ルカが上手いのは、タイムラグを作っている所。
2回目に「イエスの仲間でしょ」と聞かれたときには「(1回目から)しばらくして」とあります。そして3回目に聞かれたときは「約一時間たってから」。
マタイやマルコでは、3回連続して聞かれてるんです。3回連続して「知らない」と言えば、どんなうっかりもんでも、「来た!」って思います。ちょっと、リアリティがないんです。ヨハネは逆に途中で違うエピソードを挟んで連続性が失われているし。
でも、ルカでは、ただ時間だけを空けているんです。
身の危険が迫っている時に、「あんたイエスの仲間でしょ」って追及されたり、「てかガリラヤ訛りじゃん」とかイタい所突かれたりしたら、そりゃ脊髄反射的に「知らねーし!」って言うと思うんですよね。
加えて、様子を伺うのに必死で、正直他の連中との会話とかめっちゃウザかった。「知らない」イコール「うっせー」位だったのかも知れませんね。心ここにあらずで。
その上「しばらく」「一時間」のタイムラグがあったら。前も同じこと聞かれたことなんて忘れてると思うんですよ。
もちろん、イエスを知らないといったペテロがシロだとは言いませんが、クロといっても、意識的な感じは…。無意識の自己防衛本能故に裏切ってしまったんですよね。人間って意図的に罪を犯すより、日常的にはそういうパターンの方が多いですしね。
そして、3回目に聞かれて「知らない」って言った後に、、、鶏が鳴いたんです。こけこっこーが高らかに聞こえて…「主は振りむいてペテロを見つめられた」(ちなみに、この、イエスの反応が入っているのもルカだけです。これも、無茶苦茶、上手いです)。
そこで初めて、やっと、ペテロはゲッセマネでの会話を思い出したんでしょうね。全てが、つながったんでしょうね。
悲しすぎます。鶏鳴教会は、この切ないエピソードをベースに作られた教会なんです。
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