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執筆者の写真デボラ・デラックス

テルエッスルタンpart2

真相は!?誘惑の町回ってゲット!

エリコという町をwikiで見ると、「最古の町と評されることもあるが、後に現れるメソポタミア文明などの文明とは区別される。」なんて但し書きがされています。


まあ確かに、もし本当に世界最古の「町」、つまりナントカ文明における主要都市だったら世界史の教科書にもっとデカデカと掲載されてもいいようなもんですが、基本スルーです。教科書的には世界はメソポタミア文明から始まってますよね。目には目を!


文明、ひいては都市の定義って、色々あるみたいです。都市計画とか行政とか、貿易とか文字とか。でも、エリコはそれらの定義には当てはまらないみたいですね。結構しっかり住居跡とか残ってる、立派な遺跡なのですが…。ちなみにこちら、青銅器時代の住居跡です。

実は、エリコ以外にも新石器時代の町、というか集落は中国にもあります。彭頭山遺跡とか、年代的にもエリコと同じ位かも。でもその割には「世界最古の町」として世界中に名前知られてるし、態度デカめですよね、エリコ。


それには当然理由があります。聖書です。聖書で、めっちゃ取り上げられてるからです。


イスラエル民族は、一時期エジプトで重宝され豊かに暮らしていた時代がありました。ですが、時代が下るにつれ段々冷遇されるようになります。そこでイスラエル民族のリーダー、モーセが企てたのが…そう、出エジプトですね。


でもこの出エジプト、めっちゃ時間かかりました。苦節40年です。そして、いよいよカナンの地に入るときにモーセの後継者ヨシュアがロックオンした町…聖書的に言えば神から「あげるし」って言われたのが、かのエリコだったんです。


ヨシュア記の「エリコの戦い」のエピソード、ご存じでしょうか?戦いって言っても実際は何一つ戦ってませんけど。と、いいますのも…。


エリコ入城に当たって神は、「十戒が入った契約の箱をお神輿にして、城壁の周りをらっぱ吹きながら7日間くるくる回っとけばおけ」と言い放ったんです( ゚д゚)


神も神ならイスラエル民族もイスラエル民族。一神教を生み出した信仰深い彼らは馬鹿正直にその通りにしたんです。そしたら…!本当にエリコの分厚い城壁がガラガラ崩れ落ちた、って荒唐無稽なエピソードです。

※wikipedia「エリコの戦い」より引用。


歌にもなってますね。有名なスピリチュアル(黒人霊歌)のナンバー、「Joshua fit the battle of Jericho」です。一回聞いたら覚えられる、というよりむしろ耳を離れなくなる勇壮かつキャッチーなメロディーです。


でも、繰り返しますが、実際は別に戦ってません。


踊る壮年の皆さんよりお届けします!コーラスはもちろん体形もばっちり揃ってます!



らっぱVer.もあります!有名なジャズナンバーでもあるんです!


分厚いエリコの城壁を如何にして突破したのか、聖書通り「神の御意志」と言ってしまえばそれまでです。でも、ほんとの所が、マニアは気になって仕方がないみたいですね。


例えば、らっぱ吹いてひたすら7日間くるくる、というのは高度な心理作戦だ、なんていう方もいます。心理作戦ったって、城壁の上から矢でも打ち込まれたら一発アウトでしょ、とは思うのですが、実はそうでもないんです。


軍事力は城内のカナン人よりイスラエル人の方が圧倒的に上だったんです。兵士の数はカナン人500に対してイスラエルは7~8000人いたとか。矢を打ち込まれても、多分損失は一割行きませんw


加えてイスラエル人はこの時既に「あいつら、持ってる」って、有名だったみたいです。


自分と家族の命乞いと引き換えにイスラエルのスパイに情報を流した有名な娼婦、かのラハブも言っていますね。


神が既にエリコをイスラエルに渡した、とか、出エジプトの時に海を二つに割った、とか、シホンとオグを全滅させた、とか。その種のエピソードはエリコ城内に知れ渡っていて、皆戦意喪失状態になってる、と。単純な子供だましが十分功を奏してしまう、かなり有利な状況ではあったみたいです。


とはいえ、らっぱ吹いてくるくる回った所で城壁それ自体が崩れる訳ではありません。偶然地震があった、なんて神の御意志説とたいして変わらない珍説もありますが、多分中から手引きした奴がいるんじゃないか、それこそ、ラハブとか…なんて話も、あります。


イスラエルのスパイはラハブに、窓から赤い紐垂らしといたら、それを目印にして助けてあげる、と言いました。ラハブは城壁の中で商売していましたから、城壁の外のイスラエル人にもその紐は見えた筈です。


紐を目印にして梯子作って精鋭部隊がこっそり城壁内に侵入し、7日間の心理戦&籠城状態でカナン人がすっかり疲弊したタイミングで内側から城壁開け、外で回ってるイスラエル人を突撃させたんじゃないか、とも考えられますね。あくまで、想像ですが。


そして突撃後、ヨシュアはエリコの住民を殺害し火を放ちます。ヨシュアの時代かどうかは分かりませんが、遺跡の地層の中には焼け跡も残っています。写真の中の黒い箇所です。


考古学者の皆さんは、このテルエッスルタンでエリコの戦いの証拠を掘り当てるのに必死になっている模様。ヨシュアの時代、紀元前1400年位前に城壁が崩れたとか、大規模な略奪があったとか、そういうことが証明できれば、と。


1936年、ジョン・ガースタング教授は壊れた城壁と火災の痕跡を見つけたと発表しました。でもその後、他の学者により焼け跡の時代測定がおかしいとか、城壁は紀元前1550年頃ヒクソスが壊したものである等指摘され、結局のところ確かな証拠はありません。


テルエッスルタンの遺跡からは、かの誘惑の丘も良く見えます。イエスは悪魔の誘惑をバシッと退けましたが、一山当てたい考古学者はそうもいかないみたいです。誘惑の山を背にせっせとここ掘れわんわんです。


ところで、エリシャの泉のすぐ前に、観光客向けの土産物屋があります。名前はもろ、「Temptation」。それも、真っ赤な文字で…私ら、おちょくられているのかも。


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