十字架をなすり付けられ2000年(>_<)
※wikipedia「List of paintings by Hieronymus Bosch」より引用。
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_paintings_by_Hieronymus_Bosch#The_life_of_Christ
新約聖書の面白い所は、ぶっちゃけその構成だと思ってます(*´▽`*)
↑
不信心者!
前半のガリラヤ時代、公生涯に入ったイエスは癒しの技と律法にこだわらない超斬新&キャッチ-な説教で大ヒットを飛ばします。
そして、自分達の地位を守りたいユダヤ教の指導者達が少しずつ様子伺いに来るんですよね。安息日がどうとかケチつけたり、トリッキーな質問をしたり。でもスマートに切り抜けていくイエスに指導者達はぐぐってなる、、、このパターンの繰り返しです。
それでも、ユダヤ教指導者層の影は少しずつ濃くなって、イエスに迫ってきます。
聖書の記載のトーンも、最初は訝しむ、位なのが「イエスを捕えようとした」とか、「どうにかして殺そうとした」とか、徐々に物騒になっていくんですね。
“彼らの中の一人で、その年の大祭司であったカイアファが言った。「あなたがたは何も分かっていない。一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だとは考えないのか。」”
新約聖書 新改訳 ヨハネによる福音書 11章49~50節
く、黒い…。
で、イエスが逮捕されて大祭司カイアファの前に引きずりだされた時。自分をメシアだというイエスに対して、
“大祭司は、衣を引き裂きながら言った。「これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は冒瀆の言葉を聞いた。どう考えるか。」一同は、死刑にすべきだと決議した。”
新約聖書 新改訳 マルコによる福音書 14章 63~64節
こ、恐い…。
そして、イエスはローマ総督の前に引きずり出されて裁判にかけられ…そう、ヴィア・ドロローサが始まります!イエスとユダヤ教指導者層との間に、どんだけ凄い血みどろの争いが始まるのか…!!
かーん!!!
読者は普通、ここで手に汗を握りますよね。でも、ユダヤ教指導者層とイエスとの直接対決は、実質ここで終わっちゃうんです(;^_^A
ご存じの通り、当時ローマ帝国の支配下にあったユダヤでは、死刑実行の権限は与えられていません(人頭税の額が減るからか?)。それができるのはローマ帝国総督だけ。ユダヤ教指導者層は、ここからは完全にガヤになっちゃうんですよ。
で、実際にイエスの死刑に絡むのは、、、なんとも、「ふわっとした」人々。イエスの裁判の様子を描いたのがキャッチの絵になりますが、この裁判がまた、結構な茶番なんです。
ふわっとした人々その1は、イエスを殺せと絶叫した民衆ですね。これはまあ、分からないでもないですね。イエスがローマ帝国の支配から救ってくれると見込んだからこそついて行ったのに、あっさり負け犬…それもテロリスト枠になっちゃったわけですから。
そんなもんの一味と見做されたら、自分の立場だって危うくなりますしね。私の王国は天にあるって、馬鹿なの死ぬのって感じですよね。
次に、ヘロデ・アンティパス。ヘロデ大王の息子の彼は、当時ガリラヤ地方の領主でした。
コイツはイエスが逮捕されたときも、イエスが本当に王か否かをマジメに確認…なんて絶対しませんwなんか面白いもん(奇跡)見せてーって感じですね。で、イエスが無視するとキレて変な衣装着せて追い返すんです。
サロメのエピソードでも有名ですね。兄嫁と再婚したことでヨハネに怒られるんですが、最初はヨハネの説教が新鮮だったのか、殺さず飼っておくんです。でも、当の兄嫁は当然面白くない。それで娘のサロメを使ってヨハネを殺させます。
踊りの褒美にヨハネの首を頂戴、って、有名なエピソードですね。で、ヘロデ・アンティパスは義理の娘の言いなりにあっさりヨハネを殺しちゃう。
なんか、こいつの手にかかると全てがアミューズメントになりますよね。律法も信仰も。面倒くさくなったらポイってできるおもちゃ。
多分、本当にこんな奴だったんじゃないかなあ…。ミュージカル「ジーザスクライストスーパースター」から再び。カイアファはデブのくせに腹筋だけ割れてるところが凶悪な感じでしたけど、こういうお腹は現代社会でもよく見る感じですよね。
で、最後にポンテオ・ピラト。ローマ帝国から来たユダヤ総督ですね。最終的にイエスに死刑判決を下し、、、てもいないんですけどそんなような立ち位置にされた気の毒な奴です。
彼、ヘロデ・アンティパスと違って仕事は普通にやる感じです。ユダヤ人達がイエスを殺せ殺せと騒ぐ中でも、本当にイエスが有罪かどうか-ローマからの独立をもくろんで政治的活動をしたかどうか-をジャッジしようとします。
イエスは単に「私はユダヤ人達の王である」って言っているだけで、政治的活動はしてないです。彼がやったのはせいぜい死人生き返らせた位のちっさいこと。そんなんでローマ帝国的には有罪判決は下せないんです。
で、ヘロデ・アンティパスと責任の分散を図ったり、とりあえず鞭打ちどですかって妥協案出したり、死刑囚のバラバ引っ張り出して殺るならこっちにしないと言ってみたり…ピラトはイエスを不当に死刑にしないよう悪戦苦闘します。
でも、ユダヤ人達は「イエスを死刑」の一点張りでブレないんですね。イエスを無罪にしようものなら、冗談抜きで暴動が起きかねない一触即発の状況なんです。
法的に正しい判断をしようとすれば、イエスは無罪にすべき。でもそうしたら政治的には正しくない。政治的に正しい判断をしようとすれば、イエスは有罪にすべき。でもそうしたら法的には正しくない…。
彼の「仕事」は完全に袋小路に入ります。んで、逃げちゃうんですよ。俺は知らない、責任無いって言って。イエスの処遇をユダヤ人達に丸投げするんです。
なんか、こいつはひたすら「ミスしたくない」人なんでしょうね。あるいは「非難されたくない」人。彼の関心が信仰に無いことは当然ですし別にそれはいいんですが、総督のくせに法にも政治にも殉じきれない所がちょっと痛いですよね。
必要悪で下した判断であっても決して言い訳をしない人をリーダーというなら、ピラトは違うよなあ…。王冠の重荷に耐えられない奴。もちろん、私達の大概がそうなのですが。
なのに、人類最大のミスを犯した奴として聖書はおろか使徒信条にまでがっつり明記、毎週日曜日になると世界中で「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け~」って2000年以上非難され続けるってもう笑うしかないですね。
Comments