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執筆者の写真デボラ・デラックス

カエザリア

悪役ズ!やらかしました大舞台

イスラエルの観光地としては、死海やエルサレム旧市街などと比べると知名度の落ちるカエザリア。

実は聖書の舞台としては結構重要な所なんですよ!


テルアビブから北へ40㎞程の地中海沿岸部にある海洋都市です。晴れてればどんなに素敵な所だろうと思うのですが、残念ながらこの日は超荒天。人生初地中海♡いやーんと楽しみだったのに、地中海の方では私を「相応しくない奴」認定したようです(´・ω・`) 写真がいまいちでごめんなさいです。


さてこのカエザリア、紀元前1世紀にかのヘロデによって建設されました!


てか、ヘロデ、って誰か、ご存じですか?


クリスチャンではなくても、


「聖書に出てくる駄目なやつ」

「イエスやヨハネにやらかした権力者」


ざっくりそんな感じで、名前だけは何となく聞き覚えあるのでは?その位、超有名!な人物ですね。でも実は、聖書に出てくる「ヘロデ」って、同じ名前でも実は複数人いるんですよ…


カイザリアを建設したのは、ヘロデ大王、この方は嘆きの壁作った方と同じです。また、イエスが生まれた時この子は将来ユダヤの王になる、と聞いて2歳以下の男の子を全部殺させるという無茶をやらかしたお人でも、あります。


イエスの死刑に関わったり、サロメ(オスカー・ワイルドの戯曲で有名!)を使ってヨハネを殺害させたりしたのはヘロデ・アンティパス、ヘロデ大王の息子さんになりますね。


イエスの死後、一番弟子の使徒ペテロを投獄したり、同じく使徒のヤコブを殺害したりしたのはヘロデ・アグリッパ1世、ヘロデ大王のお孫さん(アンティパスの甥)になります。


ややこし。


で、この一族の出自なんですが、そうですね、クムラン遺跡part2の続きになります。


イエス・キリストが産まれる少し前まで、ハスモン朝がパレスチナを支配していました。このハスモン朝、ユダヤ教の信仰を取り戻すべく戦ったマカバイ戦争の英雄、マッタティアスの子孫が作った王朝ですね。


大国シリアに取り入って王朝を作ったものの、イエス・キリストが産まれる頃には、ハスモン朝は既に弱体化していたんです。ヘロデ大王はハスモン朝に使える武将の息子でしたが、ローマ帝国に取り入りその傀儡となることでハスモン朝を滅ぼし、自らが王になりました。


ちなみに、お察し通り「カエザリア」という名前はローマ帝国のシーザー(カエサル)から来ていますよ。捨て身で媚ってますね!


このカエザリア、箱物大好き建築王ヘロデ大王の匠の技(たって、本人が作った訳ではないでしょうが)を十分堪能することができますよ!


冒頭の写真は有名な半円型劇場です。地中海をバックに音響効果が抜群になるよう設計されています。なんと、今でも現役!真ん中はロイヤルボックスです。ヘロデ大王や息子のヘロデ・アンティパスも座ったのでしょうか。


床を拡大すると・・・2000年前の大理石がまだ、残ってる!


地下には、楽屋まであります(白目


地中海の波が荒すぎてよく分からないのですが、お金持ちお約束のプール付きです(そのまま海で泳げばいいじゃん…)。映画、ベン・ハーさながらの古代競馬競技場もあったんですが、こちらも見事に荒波で水没してました( ノД`)

近くには、水道橋もあります。2000年前とは思えないクオリティです。

また、カエサリアはヘロデに次ぐ新約聖書の敵役代表格、「ポンテオ・ピラト」にも大変縁が深い土地です。当時のローマ総督で、イエスの死刑を宣告した人物です。


この石碑に、彼の名前が書いてあるの分かりますか?

この石碑は1961年に発見されました。それまで、「聖書の中の人」とだけ扱われており、実在が疑問視されていた彼の存在が、考古学的にも認められるきっかけとなりました。ちなみにこちらはレプリカ。実物はイスラエル博物館に大切に保管されています。


後、見るべきは…


いろんな色のデカい石柱が無造作に転がっています。これらは地中海周辺の国家から船便で輸入されたものですΣ( ̄□ ̄|||) 2000年前、ですよ…。この石柱何トンなのか…これ積んで浮かすっつったら相当な揚力が必要。エンジンは流石に無いでしょうし、どんだけ巨大な船を使ったんでしょうかね。

地中海沿岸にあるこの港街は、人・モノ・金の重要な流通拠点でした。


当然、ヘロデ大王、ヘロデ・アンティパス、ポンテオ・ピラトの時代以降もここは聖書の舞台であり続けます。イエスの受難以降、ペテロやパウロといった使徒がキリスト教の伝道を始めます。そこで活躍(?)するのが、ヘロデ・アグリッパ1世、ヘロデ大王の孫です。


彼はキリスト教の迫害にこれ努めます。キリスト教を快く思わないユダヤ教徒、ファリサイ派の歓心を得るためですね。ファリサイ派は、イエス・キリストと散々火花を散らし合ったユダヤ教社会の支配者階級です。


なんか、ハスモン朝からヘロデ一家に続く流れって、ほんっと媚びるの好きですよねー。古代ユダヤでは王になる家系とか大祭司になる家系とかがしっかり決まってるんですが、ハスモン朝もヘロデもそこからは外れてます。彼ら、良くも悪くも腕一本で政権簒奪したんです。だから、必死ですね。


で、ヘロデ・アグリッパ1世は、カエサリアで結構名誉な死に方をしました。


式典の際に豪華な衣装を着てたんです。それに太陽の光がきらきら当たって…それを見た人々が「神のようだ」と褒めたたえました。本人もすっかりいい気になりましたが、すかさず神が罰を下します。突然体調が悪化してぽっくりご逝去。


別のソースによると、どうやらさなだ虫にお腹喰い破られたみたいですね。


イエスの死後、ローマ市民権を持つファリサイ派という超絶エリートの地位を捨ててキリスト教の伝道に努めたパウロも、かの地にあった牢獄に2年間投獄されています。

こちらが、彼が投獄された場所の跡地です。

いやはや、それにしてもヘロデ一族、やらかしてますなあ。


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