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執筆者の写真デボラ・デラックス

聖墳墓教会part3

「墳墓」っすか…((((;゚Д゚))))「聖」がついたら困るけど!

でもこの聖墳墓教会、ただのゴージャスなクサい寺では無いんです。


ここは、コンスタンティヌス帝、ローマ帝国でキリスト教を公認した方ですね、の母君ヘレナによって聖地認定されてます。十字架の欠片?があったとか。


ヘレナは熱心なキリスト教徒。キリスト教が公認された後、息子のコンスタンティヌス帝の命を受け聖地巡礼して、「イエスの脇腹刺した槍」だの「飼い葉おけの中のまぐさ」だのがんがん見つけまくった聖遺物ハンターです。ま、政治的意図があったんでしょうね。


ヘレナがゴミ…じゃない、聖遺物をほいって見つけて「ここな」ってパターン、イスラエルの史跡あるあるですが、聖墳墓教会もその系列なんです。


正直彼女の名前を聞いただけで眉唾感満載なのですが、ただ‼!


聖墳墓教会に関しては「ゴルゴダの丘?まあ大体このへんじゃね」ということで考古学者達の認識が一致しているようです


Σ( ̄□ ̄|||)


ユダヤ戦争後、エルサレムはローマ帝国に占領され、ゴルゴダの丘の上にはジュピターとヴィーナスをお祀りする神殿ができます。結構壮麗なものだったそうで、結果としてゴルゴダの丘の目印になりました。


当時のキリスト教徒達の口伝でも「ここな」って伝わってたみたいで、コンスタンティヌス帝はジュピターとヴィーナスの神殿を破壊させたんです。そしたら中からイエスの墓が見つかった、ということのようです。


聖墳墓教会とゴルゴダの丘、イエスの墓の位置関係は大体こんな感じとか。

※wikipedia 「Church of the Holy Sepulchre」より引用。Yupi666氏作成。

https://en.wikipedia.org/wiki/Church_of_the_Holy_Sepulchre


もっとも、ユダヤ教の伝統では死者を城内に葬ることは禁じられています。ゴルゴダの丘は思いっきり旧市街の中に鎮座しているのでありえねーという説もあったみたいですが、現在の旧市街の城壁は後の時代に拡張されていることが分かっているので、「まあ、アリでしょ」ということのようです。


聖墳墓教会の中には、アリマタヤのヨセフ(イエスの遺体を引き取って埋葬した人です。度胸あるなあ)の墓と言われる、丁度1世紀頃のものと思われる墓もあります。シリア正教会の聖堂にあるそうです。3:52辺りをご覧ください。

イエスがココに葬られたかどうかはともかくとして、このあたりは当時墓として使われていた、ということは言えそうです。


ちなみに私、見逃しました…残念(T_T)


ヴィア・ドロローサ第14留は、そのものズバリ、ヘレナが見つけたとされる「イエスの墓」です。今はキャッチの写真にある通り随分ご立派になっています。中に入れるんですが、ここは12留(1時間待ち)以上の大行列でしたのでスルー致しました。


ホントにイエスの墓なわけねーし( ゚Д゚)


どーせ十字軍時代かそれ以降にテケトーに作った奴でしょ、と思ってたんですけどね。


でも今、かなり‼後悔しています。2016年に発掘調査がありまして…ずーっと、古い時代からあることが分かったんです。


この第14留(エディクラっていいます)の中にイエスの石墓(と言われるもの)がある、とされています。されていますってどういうことかって言うと、大理石の覆いで覆われているんですね。


巡礼者が記念に石墓の中から「聖遺物」を持ってっちゃうのを防ぐためだそうですが、言い方変えれば本当にその中に石墓があるかどうかなんて分かったもんじゃないってことです。


でその、2016年の調査でその大理石の覆いを取ったところ石墓…は出てこなかったんですが、もう一つフタが出てきたんです。十字架が彫り込まれたフタで、割れちゃってたんですけど、これを年代特定したらなんと!コンスタンティヌス帝の時代のものだったんです!

※National Geographic 2016.11.03の記事「封印を解かれた「キリストの墓」の新事実」より引用。ODED BALILTY氏撮影。https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/110200415/


コンスタンティヌス帝がハドリアヌス帝が建てたジュピターとヴィーナスの神殿を潰してイエスの石墓の上に聖墳墓教会を建てた、という伝承と一致しています。


そしてこのコンスタンティヌス帝のフタを開けたら…出てきたんです!


本当に石墓が。


そしてこの石墓の特徴は、他で発見された同時代の古代ユダヤ人の墓や聖書の記載と一致したのだそうです。


(@ ̄□ ̄@;)‼


勿論、だからと言ってここがまさに「その現場」であるという証拠にはならないですけどね。


仮に古代ユダヤ人の物と思われる髪の毛とか見つかった所で、それが「あの彼」の物かどうかなんて立証のしようが無いですしね。そもそも的にうっかり遺体でも見つかっちゃったらエラいことになりますしね。私が調査員だったら速攻燃やしますよね、敬虔なクリスチャンとして(*´∀`)


でもでも、この場所。


少なくとも後世の人間が適当に作ったというわけでは無いです。少なくともコンスタンティヌス帝の時代から変わらず、ずーっとずーっと、信仰の対象ではあった、ということは言えますね。


件の石墓は元通り閉じられちゃいましたが必要なデータはごっそり持ち帰っていて、現在分析中だそうです。そこから、どんな新事実が分かるのでしょうね。


To be continued…


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