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執筆者の写真デボラ・デラックス

ゲッセマネの園と万国民の教会

「見た」んすか!?この木なんの木気になる木


ここは、最後の晩餐の後、十字架にかけられる前夜イエスが祈った有名な「ゲッセマネの祈り」の場所ですね。


キャッチの写真は、万国民の教会の祭壇にあるモザイク画です。イエスが岩にもたれて祈っている所を表しています。


“一同がゲツセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、彼らに言われた。

「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、こう言われた。

「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」“

新約聖書 新共同訳 マルコによる福音書 14章32節~36節


まあ…ツラいシーンですよね。色々。


「この杯」とあります。聖書的には祝福だの交わりだのいろんなことの比喩で使われているこの言葉ですが、ここでは、基本的には神の怒りとか刑罰を表しているそうです。文脈的には、人間の罪に対する神の怒りを背負って死ぬ、十字架の死を暗示しているのでしょう。


そして、「アッバ」という言葉は、クリスチャンの方はまあご存じでしょうが、イエスが口語として使っていたアラム語では父親を指す幼児語で、「パパ(性的な意味は無し)」「お父ちゃん(関西圏限定かも)」位の意味です。


神に対する幼子のような無条件の信頼や依頼心、愛情で結ばれた親子のような関係…キリスト教独自の神の捉え方を表している言葉、といった説明は良く聞きますよね。


でも、イエスの口から語られた言葉として新約に明記されるのは、この箇所が最初で最後なんです。パパ遊んで、とか、パパあれ買って、ではなく、パパお願い、「パッション」はやめて…と言っている訳です。


でもご存じの通り、絶対的な愛情で結ばれている筈の父親=神にこの願いが聞き入れられることはありませんでした。


天上の父の次は、地上の弟子たちに目を向けてみましょう。


イエスは、これから起こる十字架の死を予見して、「ひどく恐れてもだえ始め」、弟子たちに「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」と命じたのですが、弟子たちは、爆睡…。


弟子たちは「ひどく眠かったのである(同上、40節)」ということで、薄情にも、イエス祈る→弟子爆睡→イエス起こすのサイクルがコントみたいに正味三回も繰り返されます…。


弟子たちは十字架の死なんか予見していないから仕方がないとはいえ、笑うしかない、温度感の差ですよね。最終的には、弟子たちに見捨てられてしまうイエスの運命が予見されているようです。


“イエスは三度目に戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」”

新約聖書 新共同訳 マルコによる福音書 14章41節~42節


さて!


この悲しい出来事の舞台になったゲッセマネの園と万国民の教会、どんだけクラいとこかと思いますが、大丈夫です☆安心してください。とっても綺麗で明るいです。巡礼の地にしとくにはもったいない、最高のデートコースですよ(〃艸〃)

ゲッセマネ、というのはヘブライ語で油絞りという意味だそうで、要はオリーブ畑なんだと思いますが、本当にここでイエスが祈ったのか、というと…実は諸説あるようです。


でもこの場所は、コンスタンティヌス帝の時代に活躍した教父、エウセビオスがその著作で触れています。大体彼と同時代のフランスはボルドーからの巡礼者や、4世紀後半に聖地を巡礼した尼さん、エゲリアの記録にも残っています。


とりあえず古い時代から聖地認定はされてたみたいですね。


目立ってでっかい、オリーブの木の古株が8本程あります。

イエスの時代の生き証人か⁉と色めき立ちたくもなりますが、研究によると大体1000年位前のものだそうで。


でもこの8本の古株、DNA検査によるともっと古い時代にあった1つの株から派生した木だそうです。


イエスを確かに見た木の子孫、ということは言えるかもです。


万国民の教会、これも、キレイですよ~♪

※wikipedia「Church of All Nations」より引用。Berthold Werner氏撮影。https://en.wikipedia.org/wiki/Church_of_All_Nations

この教会も、ビザンチン時代、4世紀に作られた教会の跡地に建てられています。その後、8世紀に地震で破壊→12世紀に十字軍によって再建→十字軍の時代が終わると放置…という変遷を辿ったようです。

4世紀の頃のモザイクが残っている、らしいのですが、場所がよく分かりませんでした(泣


このモザイク、丁度教会の建設中に見つかったんだそうで、建設者のアントニオ・バルルッツィは、床のデザインをこの4世紀のモザイクを活かすものに即効路線変更したとか。


何で万国民の教会、というかというと12か国のキリスト教を信奉する国家でお金出し合って作った教会だからです。1919年~1924年にかけて作られたのですが、第一次世界大戦直後によくもまあそのような事が可能だったもんだと不思議です。


目立つファサードの下に4本の柱立ってますね。この柱の上に立っているのは福音書の作者の像です。


ファサードのど真ん中に書かれている赤い服着た人がイエスキリストで、向かって右側の天使がイエスの心臓を持っています。イエスの両脇は彼の死を悲しみつつ神を見上げる人々が描かれており、神と人との仲介としてのイエスの姿が描かれています。


各国の紋章が、12個ある半球型の天井(円蓋)にはめ込まれているらしいのですが、暗くてよく見えませんでした。また、こうした半球型の天井をぽこぽこ作るのはイスラム建築の特徴だそうです。ちなみにフロントビューのファサード&柱はビザンチン建築の特徴なんだそうで、丁度折衷型ですね。まさしく万国民…


この教会のご神体は、イエスがゲッセマネで祈った時に身を横たえたとされる岩です。ビザンチン時代から残っているものだそうで、中央の祭壇の下に麗々しく鎮座しています。私が行った時はミサの真っ最中でした。

でもすいません、ゲッセマネのシーン、4つの福音書のどこにもイエスが「岩」あるいは「石」の上で祈ってるとは書


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