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執筆者の写真デボラ・デラックス

聖誕教会part1

もしかして、もしかするかも…the馬小屋!?

ベツレヘムの聖誕教会のすぐそば、でかーいクリスマスツリーが飾ってありました。絶賛ジングル中ですが、私が行ったのは1月中旬…いやあ、引っ張りますなあ。ちなみに今のベツレヘムは、パレスチナ自治区です(^^;)


この聖誕教会の特徴を挙げるとすれば、、、と言っても特徴は掃いて捨てる程あるんですけどね、一番特筆すべきは何かというと。


やっぱ、古いっ!ということでしょうか。


イスラエルにある多くの教会は、建物それ自体は大概新しいことが多いです。イスラエルはイスラムの支配下に長期間置かれたわけですから、当然元の建物なんてぶっ壊されてます。


ビザンチン時代に建てられて、その後イスラム勢力により壊されて、十字軍時代に再建された、と思ったらまたイスラム支配下で再クラッシュ。そしてやっと産業革命以降に欧米の植民地支配が進んだ後…せいぜいがとこ150年位前に再建…このスクラップビルドパターンを踏襲していますね。


でも、この聖誕教会はどうかと言うと。


初めはローマ帝国でキリスト教を国教化したかのコンスタンティヌス帝により建てられました。なんと、創設AD330-333位。1700年前ですねえ。でも、この教会は(多分)AD529年、サマリア人の反乱により破壊されてしまいます、、、


でも速攻、再建されたんですねえ。東ローマ帝国のユスティニアヌス帝、「ローマ法大全」を作った方ですね、この方が再建したんです。何年にかは分からないのですが、ユスティニアヌス帝の在位はAD527 – 565ですのでまあ、速攻、と言っていいでしょう。


で、この時の建物がまだ残っていて、現役で使われているんですよ。1500年間。

150年じゃなくて、1500年。

ね、凄いでしょ?


外面、ちょっとごついですけどねー。色気、なしなしー。

加えて入口が超小さいです。一人ずつ、屈んでしか入れないです。謙譲の門とか言われてありがたがられていますが、無駄に回転を遅くしないでいただきたいです!

二番目の特徴を挙げるとすると。

そうですね、由来が割と確か、、、かも、知れない。


イスラエルの教会は皆、なんちゃって感満載です。マリアが受胎告知をされた<と、される>場所にある受胎告知教会とか、イエスが最後の晩餐食った<と、される>場所にある最後の晩餐の部屋とか。みんな、キリスト教がローマ教会の国教化された後の時代の伝承に過ぎないんですけど。


しょうがないですよね。イエスの活動時期は2000以上年も前の話で、しかも長期間異教徒の支配に置かれた場所で起こったことなんですから。


でもこの聖誕教会はイエスの死後100年位の時点で既に、「イエスが生まれた洞窟の上に立っている教会」として認知されていたようです。死後100年ならまだキリスト教がローマ帝国にガンガン迫害されてた時代だと思うのですけどね。


2世紀の有名どころの教父、ユスティノス(殉教しました)やオリゲネス(投獄されました)も、既にそうした伝承があったことを裏付ける証言を残しています。


そして、如何にもソレっぽいことに。ユダヤをローマ風の都市に変え、第二次ユダヤ戦争の契機を作ったハドリアヌス帝が、イエスの記憶を消すためにこの洞窟をギリシャ神話の神であるアドニスを祀る場所にした、という記録が残っているのです。


ユダヤ教や(当時はその一派とみなされていた)キリスト教を迫害し、ユダヤ教の文化を根絶しようとしたかのハドリアヌス帝にマークされるなんて、もしかして本当にここでイエスが生まれた、のかも・・・と思ってしまいますよね。


いやいや、イエスが生まれたのは洞窟じゃなくて馬小屋でしょ、と皆さん仰るでしょうが。イエスが生まれた当時は、大概の宿屋、というか家は洞窟の前に建てられていて、洞窟は倉庫や馬小屋として使われていたそうです。だから、別におかしな話でもなく。


うーん、どきどきしますね☆


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