欧露土の意地維持します意地にでも( ゚д゚)
感動的☆なヴィア・ドロローサの道行き、最後の4留がココで終わります。巡礼のハイライトですね。
外見は…結構ぼろっちい感じですね。レンガ建てと石積みを混ぜたような、如何にも増改築&修理を重ねましたって感じ。装飾は一切無いです。中は結構広いのに、入り口から見るとえらく狭い建物に見えます。
私が来た時は、入口正面のスペースにはアメリカからのクルーズ船ツアーの団体が来てて人がごった返してました。何かの聖人の記念日とかかと思いましたが、翌日の自由行動の時にもう一度訪れた時も込み具合は一緒。1年365日、いつもこんな感じみたいです。
ぼろっちい聖墳墓教会、まず目に付くのは、ええと、はしごですね。キャッチの写真の中央に位置する、一見どうでも良さそうなやつです。でもこれ、「不動の梯子」って呼ばれていて、かなりいわく付きの代物なんですよ。
ただし、イエスとは何の関係もありません。
このはしご、1728年!辺りからこのままここにあるんです。理由は今となっては分かりません。坊さんが外の空気を吸うためとか、修理してた石工が忘れたとか、タダで教会に入ろうとする奴を見張ってたとか諸説あるようです。
まあ、忘れ去られて然るべきどうでもいい理由なんでしょう。それが何で延々とおきっぱになっているかというと、1757年にちょっとした事件があったからです。
18世紀頃…当時はオスマントルコがエルサレムを治めていましたが、この頃になるとヨーロッパ列強の力がトルコを上回るようになります。で、ヨーロッパ列強は聖地エルサレム内で影響力を高めることでライバルと差ぁつけたれ、と考えるようになるんですね。
で、キリスト教各宗派(とそのバックにある各国)で争いが絶えなくなります。
で、当時トルコのスルタンだったオスマン3世が、「聖地における各種権限は現状維持ってことで」というお触れを出しました…って、これだけじゃはしごがそのままになる理由にはならないですよね。
ここから100年後、ヨーロッパ列強間でのエルサレム聖地管理権問題はますます顕在化します。とはいえ、もともとトルコはエルサレムの聖地管理権をフランスもといカトリックに与えてたんです。でも、1851年、フランス革命後のごたごたから抜け出せないフランスの隙をついたギリシャ正教徒がロシアをバックに聖地管理権を分捕っちゃう、なんて事件が起きます。
要は、トルコの衰退がどんどん進んだってことですね。
翌年、国内のカトリック教徒を支持基盤とするナポレオン3世は慌ててトルコと交渉して聖地管理権を取り戻します。
慌てたロシアは聖地管理権を再奪取しようとトルコに同盟を申し出たり、同盟断られた後はギリシャ正教徒の保護がどうとか言ってトルコ国内に侵攻したりします。あ、もちろん聖地管理権なんて真っ赤な口実ですよ。真の目的は勿論、ロシアが欲してやまない「不凍港」です。
当然トルコは反発して、当時のスルタン、アブデュルハミド3世は「エルサレム聖地にあるモノはなーんも動かしちゃなんね」という極端なお触れを出します。
そのお触れは巡り巡って国際法と化し条文にがっつり記録されます。下から6行目に書体を変えてstatus quoとありますが、これラテン語で現状維持という意味です。
※wikipedia「Status Quo (Jerusalem and Bethlehem)」より引用。
https://en.wikipedia.org/wiki/Status_Quo_(Jerusalem_and_Bethlehem)
で、はい、はしごは目出度く約300年もの間ほったらかしなりました…※
じゃない、あ、いや、それもそうなんだけど、一般的にはここで、「クリミア戦争が勃発しました」となります。
そう考えると地味に凄いでしょ、このはしご。
※実際にはほったらかしではなく、古くなるとわざわざご丁寧に取り換えて「現状維持」しているのだそうです(-_-;)
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