外壁で察してお願いクオリティ!!!
ザ・エルサレムって感じの観光地で、オリーブ山の次に来るのがコイツでしょうね。クリスチャンでもなければイスラエルなんて一生行く気も無い人でもまあ、とりあえず名前は聞いたことある…いや、聞いたことすら無くても絵面的にデジャブ感がある…みたいな。
でも、クリスチャンにとって、オリーブ山はパッション前夜の記念すべきスピリチュアルスポットなのに対し、嘆きの壁はなあ…すみません、スピ度、かなり低めです。
てか、イエスから絶賛呪われてるし。
“ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」”
新約聖書 新共同訳 ルカによる福音書 21章5節~6節
あらら…
嘆きの壁って何かっていうと、第二神殿の遺構です。で、第二神殿とは何かというと、ユダヤ教徒にとっての伊勢神宮みたいなもんですね。日本でいうところの三種の神器に相当する、十戒を記した石板をおさめた契約の箱が安置されている所ですね(てか、三種の神器って伊勢神宮に置いてあるんでしたっけ?)。
この神殿、最初はBC1000年頃ソロモン王によって建立されました。これを第一神殿といいます。これは、BC587年、新バビロニアにユダ王国が滅ぼされた時に壊されてしまいますが、バビロン捕囚を経て割とすぐに再建されたのが第二神殿です。
でも、この第二神殿、急ごしらえだったのか、ソロモン王の第一神殿と比べるとちっこかったらしいんですね。で、イエスの時代、イドマヤ人の王…ユダヤ人から見たら異邦人ですよね、ヘロデ大王がユダヤ人の人気取りをしようと、再建をしたのです。
カエザリアの所でも書きましたけど、ヘロデ大王、ローマに死ぬほど取り入ってやっと王にしてもらえた人です。ダヴィデの家系とかとは何の関係も無いんで、権力基盤が薄いんですね。必死ですね。
で、今日私たちが見ることができる嘆きの壁は、このヘロデ大王が人気取りで作った第二神殿の一部、、、では、無いんです。
ええっと、大変言いづらいんですけど、ヘロデ大王が人気取りで再建した第二神殿の外壁の一部なんです。はい、あくまで、外壁、です。
イスラエル博物館に当時の旧市街の模型があるので、ちょっと見てみましょうか。
緑で囲ってある辺りが、第二神殿本体です。で、階段みたいなのの隣にある赤で囲ってある部分が、ざっくり現在の嘆きの壁と言えます、、、本体と大分距離ありますよねーめっちゃ外壁ですよねーあはは((´∀`))
でもこの神殿、当時はほんとにキレイだったみたいです。フィラウィウス・ヨセフスのユダヤ古代誌によると、
・すべての側面が大きな金の板で覆われていた!
・太陽が昇ると反射してそらもう眩しいので、直視出来なかった!
・遠くから見ると、雪をかぶった山のように見えた。金で覆われていない部分はどこも真っ白(大理石とかかな?)!
まあ。びっくり☆(どこまでホントか知りませんが)
※wikipedia「第二神殿」より引用。Berthold Werner氏撮影。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%A5%9E%E6%AE%BF
イエスの予言通り、エルサレムの町はローマに徹底的に破壊されるのですが、このゴージャスな神殿に関する限り、「一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る」という予言は、外れました。
神殿の外壁の西側の部分は、今ある通り残りましたからね。嘆きの壁-ユダヤ人は単に西壁って言ってますけど-として。
ユダヤ教徒にとっては神殿を思い出すよすがだってんで恰好の巡礼スポットになりましたし、イスラム教徒はイスラム教徒でそれに対抗(?)したのか、彼らもここを聖地化しちゃいました。ムハンマドがペット(ブラークという、翼をもつお馬さん)をこの壁につないだとか何とか言って。
そんなかんなで、イスラム教徒の皆さんも残った壁の上にごんごん石積んで、その後イギリスの統治下に入った後にも石積まれて、結構立派に復活しちゃったという…。
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